前編では、情報社会と地域コミュニティについて海外事例を交えながらご紹介いただきます。
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庄司 昌彦
(しょうじ まさひこ)1976 年、東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士前期課程修了、修士(総合政策)。おもな関心領域は情報社会学、情報通信政策。特にデジタルガバメント、オープンガバメント、データ活用、地域情報化、社会イノベーション、高齢社会研究など。
教育・研究活動のほか、社会的な活動として政府や地方自治体等の委員会で構成員を多数務める。2015 年より総務省地域情報化アドバイザー。2016 年より内閣官房 IT 総合戦略室オープンデータ伝道師(2022 年からデジタル庁オープンデータ伝道師)。
その他、一般社団法人オープン・ナレッジ・ファウンデーション・ジャパン(OKJP)代表理事、一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)理事、一般社団法人認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ(DFJI)共同代表理事なども務めている。 -
古見 彰里
(こみ あきのり)大手コンサルティングファームのパブリックセクターチームにて公共機関向けコンサルティングおよびプロジェクトマネジメントを多数経験。自治体向けサービスの統括を行う中で、地方の活性化を強く志向。
その後、開発センターを北海道で立上げ。2010年にグラビス・アーキテクツ株式会社を設立。公共機関や地方の中堅企業向けにテクノロジーを活用したコンサルティングを展開。
情報社会と地域コミュニティ
古見
ご専門の情報社会学に関する研究内容と、情報社会に対するお考えを簡単にご紹介いただけますか。
庄司さま
私が大学に入学した1996年は商用インターネットの黎明期でしたが、当時の私は、インターネットが私たちの社会のあらゆることを良い方向に変えるのではないかと甘い期待を抱いていました。例えば、夜や休日しか空いていない人も、平日の昼間に開催される議会にオンラインで参加できるようになるのではとか、障害を持った方や、子どもたちも地域の運営に参加できるようになるのでは、とかですね。
あるいは、いろんな情報がインターネット上に公開されるようになるため、情報を持っている奴がえらい・強い、というパワーバランスが崩れるのではないか、とか。
実際、ソーシャルメディアの熱狂がオバマ大統領を当選まで押し上げたということもありましたね。ソーシャルメディアを用いて人々が群れを作り、独裁政権を倒した「アラブの春」もありました。インターネットや情報通信の力を使って社会をより良くできるのではないかと素朴な期待は、ゆっくりですが海外では実現しているのではないかと思えたりもしました。その後、いろいろな課題や困難も露呈するのですが。
そんな背景があって「地域SNS」の研究に取組んだりしていたのですが、当時の私の関心の中で一番大きいテーマは”コミュニティ”でした。ネットコミュニティをリアルな地域社社会に重ねることによって、今までより参加型民主主義が進化し、自分たちの手で自分たちらしい社会をつくっていく「自治」が実現できるのではないかと考えてきました。
私の若手研究員時代といえる2002年~2012年頃には、日本でも政権交代が起きましたが、社会制度を大きく変えることについてはうまくいきませんでした。当時は政治に対する関心が失われている、ネットは社会に影響を与えないとも言われていましたが、ソーシャルメディアの普及と実際の社会との関わりを見ていると、「そうでもないかもしれない」「新たな社会契約を作っていくことを情報技術を使ってできるのではないか」と学生の頃のような淡い期待をもつこともありました。しかし、社会を変えるのはそう簡単ではない。社会科学のさまざまな知見を総動員することが必要です。
このようにネットとリアルで起こっている社会現象を見ながら、企業はどう変わるのか、国や自治体はどう変わるのか、生活や文化はどう変わるのか、ということを見ていくのが私にとっての情報社会学ですね。
古見
以前「自動販売機型社会」という言葉を使っておられました。税金を払ったら公共サービスが自動的に提供される社会、ということですよね。これは、いつぐらいから構想されて、この先どうなっていくと思われますか。
庄司さま
構想というか、そうなっていっていることを観察しつつ、実は少し危惧しています。まず、参加型民主主義の観点で見ると、2009年にアメリカでオバマ政権が誕生したのが一つの転機になりました。オンラインで議論して言葉の力で社会を変えようとするだけではなく、人々が政治や行政に参画し、ときにはアプリやデータを作ったりして行動するオープンガバメント、オープンデータという概念が注目されるようになりました。
日本でも、行政が持つデータを使いやすく提供してデータで社会を動かしていく、データ駆動型社会がいわれるようになります。これは、交通や環境、あるいは犯罪防止などでデータ活用を積極的に行い、都市の運営をスマートにしていこうという取組み(スマートシティ)にも繋がっていきました。データを取って、データに基づいて社会をコントロールするということですね。マイナンバー制度やマイナンバーカードの普及も、さまざまなデータに基づいて『あなたにはこういうサービスがあります、給付金をあげますよ』などということを本人が申請しなくてもプッシュ型で自動的に行っていくことを目指しているわけです。これをずっと突き詰めていくと、税金を払っておけば家にいながらにして自動的に最適なサービスがやってくる社会になる。ただ、きちんとしたデータに基づいて自動的にサービスがひとり残らず提供されるというのは、なんだか超計画経済みたいな感じもする。
もともと私が描いていた「ネットコミュニティがみんなの社会参加を支援して、自分たちで社会を作っていこう」という理想からは遠い感じがするのです。“手触り”とか“みんなで作っている感”がなくなって、お金さえ払えば物が出てくる自動販売機みたいな社会に変わるような気がして「あれ?これでよかったんだっけ」と思っています。いま動いている改革を否定しているわけではないのですが、利便性を向上するだけではなく、何か公共性を感じられるようにする“プラスアルファ”がいるのではと、もやもやしています。
古見
便利なことが人を幸せにしているのか、というジレンマはおそらく、我々世代は悩みながら今を生きているところがあると思います。
我々が子どもの頃は、地域コミュニティがしっかりあった最後の時期かもしれません。地域の目があるからこそ、地域全体で子どもを育てるような感覚があり、どんな活動をするにも人の目がある。良し悪し両方ある中で、だんだん核家族化が進んでいって、地域のコミュニティが薄れていきました。おそらく1990年ぐらいには、家族内でのセーフティネットも薄くなり、「事件」として顕在化することもありました。
その後、インターネットが普及して、SNSを通じて匿名であらゆる人と会話やコミュニケーションができるようになってくると、人はだんだん自由になる反面、孤独になっていきます。「自動販売機型社会でよかったんだっけ?」という疑問と、我々世代が感じる「便利になって自由になりたかったけれど、いざ大人になると実はかなり寂しい」ということはリンクしているような気がしていて。ここをどう埋められるかが、私のテーマですね。
庄司さま
情報社会学の基本的な考え方に「技術は人をエンパワーする(=力を与える)」ということがあります。
例えば、撮影した動画を地球の裏側の人に見せるということは、昔であれば莫大な準備やお金が必要で放送局などにしかできませんでしたが、今ならスマホと動画サービスを用いて小学生も気軽にできます。情報技術は人ができることを増やす、自由を高めているわけです。
しかし、こんな側面もあります。たとえば私たちは、買い物に行って子どもの頃から知っている店主に「◯◯ちゃん、大きくなったね。ご結婚は?お子さんは?」などとプライベートで余計なコミュニケーションをされず、匿名でいられるのでスーパーやコンビニを好んできたという面があります。田舎の濃密な人間関係もたまにはいいけど、匿名でいられる都市の方が楽だという感覚もあります。しかし、実際のところ現在の都市には監視カメラがいっぱいあって、年齢や性別、目的地の方向などを分析されるようになってきています。また、コンビニで物を買い、電子クーポンや電子マネーを使えばさまざまなデータを取られ分析されています。あれこれ自分のことを詮索されない自由や匿名性を求めていたはずなのに、結局元に戻っている気がします。ですから、技術を用いることが本当に幸せをもたらしているのか?ということは、常に考えています。
古見
一般的な男性の平均寿命は82歳ぐらいですが、独身男性の平均寿命は67歳だといわれていることもあり、これから"孤独"は一つの大きな社会問題になると考えています。
情報社会学というテーマでいくと、”コミュニティ”が一つのキーワードになるのではないでしょうか。今の社会が不寛容になっている背景は、周りの人が見てくれている安心感が薄れていることが一つの原因かと思っています。見てくれる環境を自分がどう作るか、物理的でもバーチャルでも、どんなコミュニティに属していくか、みたいなテーマが出てくるのではと考えています。
庄司さま
厄介なのは、不寛容で繋がるコミュニティもあることです。「類は友を呼ぶ」の負の側面です。
それから、地域SNSを研究していた時にこんな困ったことがありました。地域のさまざまな人をつなぐために誰でも自由に参加できるSNSを作っても、参加する人はもともとコミュニケーション能力が高く元気な人たちばかりで、友達が少ない人はそういう所にこないんです。元気な人がますます元気になる。孤立している人たちがそこで友達を得るということは、なかなか起きにくい。
フランスの事例をご紹介しましょう。パリ市の17区というところで助役を務めていたアタナーズ・ペリファンさんはある時、ご近所のおばあさんが人知れず亡くなっていた、ということに出くわしました。彼は非常に衝撃を受けて、隣同士、近所同士の繋がりを回復しなきゃいけない、隣近所同士で年に1回でもいいから食事会をしましょう、と考えて"隣人祭り"というものを始めます。これはオンラインではなく、ポスターを貼りチラシをポストに入れるなどする“ベタ”な取組みです。
隣人祭り欧州を中心に世界に広がり、日本でも行われるようになりました。また、クリスマスなどの季節イベントを周囲に呼びかけたりすることにも発展しました。
同じ頃、その近くで立ち上がった地域SNS「ププラード」も面白いことをやっていました。当時日本ではmixiが流行っていて、日記が主なコンテンツでしたが、日記に書くのは主に「過去の出来事」なんですよね。しかしこのSNSでは「未来の予定」を共有します。「いつ買い物に行く」とか「いつどこへ遊びに行く」とか。すると「じゃあ一緒に行かない?」と、人と人がリアルで一緒に行動する約束を取り付けることができます。私はこの「ランデブー」という機能を非常にいいなと思いました。
その隣人祭りとププラードが同じパリ17区で生まれたということで興味を持ち、15年ほど前に2回パリで調査をしましたが、リアルな行動に結びつける大事さを強く意識するようになりましたね。
古見
一つのヒントかなと思いました。身体性を持ったコミュニケーションに繋げるためには個人が特定できないといけません。それが地域のコミュニティとして認知されていれば、顔や名前を晒すことも障壁が低いですね。当時の日本では、2ちゃんねるもですが、ネットだから顔を隠して仮名で繋がれることに喜びを感じていた。そこが生み出すパワーにすごく期待をしていた。それは否定しないしけれど、それだけじゃない、ということですよね。
庄司さま
はい。不寛容の原因が、見られていない安心感であるとすると、予定を共有してランデブーを誘引したり、近所の人と一緒に食事する機会をつくったりするということは、孤独や不寛容を予防する可能性があります。
自動販売機型の行政に進みつつも、みんなでこの地域を維持してるね、作ってるねという感覚を持てるようなリアルを仕掛けられないか。昔の人間関係に戻るのでもなく、デジタルだけで幸せになろうとするわけでもない。ベストミックスや使い分けの工夫を我々は考えていかないといけないのではないかと思います。
古見
地域や家族のセーフティネットが希薄化して、孤独の問題が顕在化される。この変遷の中で、昔は地域が担っていた相互扶助機能がなくなってくる。相互扶助の機能は、一つはお金やその生活をサポートするという物理的な労働に近いようなこと。もう一つは、人が見ていることの安心感だと思っています。
前者はおそらく社会保障が拡充していく中で、ある程度肩代わりする仕組みが形成されたことが、日本の地域を支えたと思うんですよね。そう考えると、従来は地域で解決できたことが、なかなかできなくなったことを行政がある程度サポートすることが求められてきていて、やはり行政の役割はどんどん大きくなっていると思いました。
例えば最近だと、ある議会でシルバー独身者の婚活を行政で企画してほしいという話がありました。孤独の問題も背景にあるとは思うのですが、30年前に婚活が役所の仕事だったかというと、そんなことないじゃないですか。
庄司さま
社会の変化に合わせて行政の役割は変わっていくべきです。私が子どもの頃とは異なり、現在の主要な世帯のあり方は核家族ではなく一人暮らし世帯になっています。そしてこの傾向は今後も進んでいくと予想されています。一人暮らしが基本の社会になるなら、たとえば大型の家電製品などのシェアを促してはどうでしょうか。お風呂や洗濯機のシェア、つまり銭湯やコインランドリーを使うために外に出ていく機会を作り、そこを孤独解消につなげる場にしていく。そういったことを仕掛けていくのも、行政の役割になるんじゃないかと思います。
古見
私は行政の方々に求められるスキルが「手続き処理型」から「問題解決・プロジェクトマネジメント型」に移っていく道筋と、温かみを持って人を支える福祉のようなお仕事の2種類になっていくと考えています。ここはいかがですか?
庄司さま
おっしゃる通りですね。手続き処理は自動販売機型でもよく、それ以外で行政に求められるのは「地域社会全体を見て問題解決やプロジェクトを企画・実施するスキル」と、「目の前の人の具体的な問題解決をあの手この手で考えて具体化していくスキル」というイメージを持っています。求められるスキルは似ているのかもしれませんが、たしかに2つの方向性はありそうです。
古見
そこは一つ、我々のコンセンサスですね。
後編では、足元の地方公共団体の基幹業務システムの統一・標準化(以下、自治体標準化)における第2ラウンドの構想や理想的な情報社会についてお話を伺います。